−がん幹細胞を攻撃せよ

 肝臓のがん幹細胞(上)と通常のがん細胞(下)(森教授提供) 異常な細胞が増え続けるがんは、同じ性質のがん細胞の塊とみられてきたが、実は「女王蜂」と「働き蜂」の役割に似た2種類の細胞が混在することが明らかになってきた。やっかいなのが女王蜂のような「がん幹細胞」だ。数は少ないが生命力が強く、働き蜂のがん細胞や自分の分身を次々と生み出す。がんの根源ともいえるがん幹細胞をターゲットにした治療法の研究が進んでいる。(萩原隆史)
◆防御システム
 がんは、遺伝子の正常な働きを阻害する傷や変異の蓄積で生じるが、発症までに十数年かかるとされる。ところが実際には、数日で新しい細胞に置き換わる組織でもがんが見つかることから、がん細胞の供給元の「がん幹細胞」があると考えられてきた。
 1997年、カナダのグループが、白血病の細胞の中から初めて発見。その後、脳腫瘍や乳がんなどでも見つかり、2005年には九州大の森正樹教授(現大阪大教授)らが、食道や胃、肝臓など5臓器からがん幹細胞を発見した。
 森教授によると、がん幹細胞は主に、体のあちこちにあって様々な種類の細胞を供給する体性幹細胞の異常でできるとされる。がんをつくる細胞の90%以上は、あまり増殖しない普通のがん細胞で、がん幹細胞はわずか数%。数こそ少ないが、やっかいな性質が少しずつわかってきた。
 活発な細胞を破壊する抗がん剤放射線治療は、普通のがん細胞には効果的だが、がん幹細胞は普段ほとんど休眠しているので効きにくい。抗がん剤などの薬剤を排出するポンプ機能もあるという。
 「こうした特殊技能はがん幹細胞だけでなく、正常な幹細胞も持つ。幹細胞は生命維持に不可欠だから、自分への攻撃に耐える様々な防御システムを備えている」と森教授。それが悪用された格好だ。
酵素を目印に
 生き延びたがん幹細胞は、再発や転移の原因になりかねない。そこで、新たな治療法が開発されつつある。
 一つは、がん幹細胞に対する直接攻撃。がん細胞の陰に隠れて休眠するため狙い撃ちは難しかったが、森教授らが今月、肝臓のがん幹細胞が出す特徴的な酵素を発見するなど、最近になって見分ける方法もわかってきた。こうした目印を頼りにピンポイント攻撃を仕掛ける方法だ。
 もう一つは、がん幹細胞の“隠れ家”を取り除くことだ。がん幹細胞は、がん細胞を増やしたり、自分自身を増やしたりする幹細胞としての性質を保つのに、特殊な細胞や分泌液からなる「ニッチ」と呼ばれる隠れ家を持っている。これがないと、普通のがん細胞に近い状態になる。ニッチを取り除いて普通のがん細胞にして、抗がん剤で一気にたたいてしまえばいい。
◆今後の研究に期待
 がん幹細胞は、すべてのがんに存在するのか、再発や転移にどれほどかかわるのかなど、未解明の点も多い。慶応大の佐谷秀行教授によると、がんによっては、普通のがん細胞が突然、がん幹細胞に変わる場合があるという。がん幹細胞だらけのがんも見つかっており、多くのがん幹細胞を生み出す「親玉の中の親玉」も存在するらしい。
 佐谷教授らは昨年、がん抑制遺伝子をなくしたマウスの幹細胞にがん遺伝子を組み込むなどして、白血病や骨肉腫など5種類の「人工がん幹細胞」を作ることに成功。がん幹細胞とニッチの詳しい仕組みや、がん発生過程を調べている。佐谷教授は「性質が分かるにつれ、一つの理論では説明しきれなくなってきた。ただ、がん幹細胞をたたくという新しい概念の登場で、根治に向けた治療が前進するのは間違いない」と期待する。(2010年8月23日 読売新聞)