−肺がん治療の今

−(1)肺葉より小単位で切除
 2005年、健康診断で肺がんが見つかり、手術で右肺の3分の1を切除した東京都の主婦(77)。3か月ごとの経過観察で、08年夏、今度は左の肺に新たながんが見つかった。
 CT(コンピューター断層撮影法)画像に映ったのは、大きさ2センチ程度で、大部分はすりガラス状の淡いカゲ。がんではあるが、広がる危険が比較的低いタイプとみられるものだった。
 主治医の順天堂大呼吸器外科教授、鈴木健司さんは、「手術が必要ですが、今回は切る範囲を小さくしましょう」と提案した。
 肺は、右が三つ、左が二つの「肺葉」というまとまりに分かれる。標準的な手術では、がんのある肺葉ごと切除する。見えないがんが広がっている可能性があるためだ。
 主婦は、すでに右肺の3分の1を取っており、階段や坂を上る際に「以前より息が上がる」と感じていた。さらに左肺も半分を切除すれば、呼吸機能の一層の低下が懸念された。
 そこで、鈴木さんが提案したのは、肺葉よりもさらに小さい単位で切除する方法。右肺は10、左肺は8の区域に分けられ、その1区域だけを切除するため、「区域切除」と言われる。
 「心肺機能が低下した高齢者の場合、肺を大きく切れば、生活の質を落とす恐れがある。可能な範囲で手術をするという考え方」と鈴木さんは説明する。
 問題は、小さい切除でもがんを治せるかどうかだ。まだ、実験的な段階だが、500人以上を対象にした一部施設の臨床試験で、2センチ以下では、区域切除も肺葉切除も5年生存率は89%台でほぼ同等だったとする報告も出ている。さらに昨年からは全国規模の臨床試験が始まっている。
 主婦の2度目の手術では、背中側を10センチ切開し、左肺の中でがんのある1区域を切り出した。手術から2年、「息切れがひどくなることもなく元気」という。今も家族や友人とほぼ毎月、旅行を楽しんでいる。
 体への負担が大きい通常の手術か、評価が定まっているとは言えない区域切除か。または、進行が遅い可能性を踏まえ手術を避けて経過をみるのか、あるいは抗がん剤治療にするのか。
 こうした選択肢の中で、全国で行われた区域切除は、07年には約2040件(日本胸部外科学会の調査)と、10年前の3・5倍に増えている。鈴木さんは「縮小手術は、呼吸機能が悪く、がんの性質がおとなしい場合に考慮する方法」と話す。(2010年8月17日 読売新聞)

−(2)気管支鏡から光線照射
 口から入れた気管支鏡の細い管の先からがんにレーザー光線を照射する光線力学的治療(東京医大病院で) 2000年に食道がんの手術を受けてから定期的に検査を受けてきた東京都の飲食店経営、木場昇さん(69)は07年、右肺の上の方に3センチのカゲが見つかった。口から小型カメラを気管支内に入れる気管支鏡検査を行うと、右肺の下の方の気管支にも、もう一つ、1センチ足らずのごく早期のがんがあった。
 細胞を調べると「扁平上皮がん」という喫煙者に多いタイプの肺がんで、食道がんの転移ではなかった。20歳代から1日30本のたばこを吸っていた。
 標準的な肺がん手術では、肺の3分の1から半分ほどを切除するが、木場さんの場合、二つのがんを手術すると右肺をほぼ全部摘出することになり、呼吸機能を大きく損なう。
 そこで、気管支にできた早期がんに、肺を切らないレーザー光線を用いた治療を行う東京医大病院(新宿区)を紹介された。
 同病院を受診した木場さんは、呼吸器外科講師の臼田実男さんに「3センチのがんは切除手術を行い、下方の1センチ弱のがんはレーザーで治療をしましょう」と提案された。
 レーザーを用いる治療は「光線力学的治療」と呼ばれる。光線に反応し、がんに集まりやすい性質の薬剤を注射した後、口から気管支鏡を挿入。その先から、がんに向け低出力のレーザー光線を当てる。薬剤が光線と化学反応し、がんを破壊する。
 1センチ以内の早期肺がんなら95%程度が治るとされ、1996年に保険適用になった。ただし、3センチ以上のがんを確実に破壊する威力はなく、対象は、気管支鏡が入れられる肺中心部のごく早期のがんに限られる。
 木場さんはまず3センチのがんを手術し、その2か月後、光線力学的治療を受け1週間入院した。治療の4〜6時間前に薬を注射。光線照射は11分程度で済み、「痛くもかゆくもなかった」。薬の影響で光に過敏に反応することから、体から排出されるまでの数日間は日焼け止めクリームを塗り直射日光を避けた。
 退院1か月後には飲食店に復帰。その後約3年間再発もなく、今も自ら築地市場で食材を仕入れ、厨房に立つ。「肺が大部分残っているせいか、息切れすることもありません」と話す。
 同科主任教授の池田徳彦さんは「肺がんの10%程度は多発し、気管支にできるがんはこの傾向が強い。光線力学的治療は、体への負担が小さいので、早期であれば多発がんにも用いやすい」と話す。(2010年8月18日 読売新聞)

情報プラス 肺がんの転移と多発
 肺の中にがんが複数見つかったとき、最初にできたがんから、がん細胞が血液やリンパの流れに乗って別の場所へ転移して複数になったケースであることが多い。しかし、別個のがんが、同時多発したと考えられるケースもある。
 この記事で紹介した患者の例について、東京医大病院呼吸器外科講師の臼田実男さんは「別個のがんが多発したものと考えられる」と話す。肺内に2つのがんが見つかったが、周りのリンパ節などに転移が全くみられないうえ、同じ扁平上皮がんでも、それぞれ顕微鏡で見たときの様子が異なることから、そう判断できるという。同時多発がんは、喫煙者などに比較的多くみられるという。
 小さな複数のがんでも、転移と考えられる場合(リンパ節転移がある場合など)では、光線力学的療法に適さないこともある。

−(3)遺伝子検査で薬使い分け
 肺がんに対する抗がん剤の点滴治療(癌研有明病院で) 右肺に影が見つかり、細胞検査で肺がんの半数を占める「腺がん」と診断された62歳男性は2007年5月、癌研有明病院(東京都江東区)で手術を受けた。しかし、切開すると、すでに肺を覆う胸膜にがんが散らばっていて、取り除くことはできなかった。
 説明を受けた男性は「治らないなら、もうどうでもいいや」と一時は自暴自棄になりかけた。だが、すぐ思い直した。娘2人はまだ学生。「社会に送り出すまで生活を支えてやりたい。出来る限りがんばろう」と前を向いた。
 肺がん患者のうち、手術できるのは3〜4割程度。多くの進行した患者の治療は抗がん剤中心となる。男性は以後、同病院呼吸器内科副部長、西尾誠人さんと相談して治療を進めた。
 最初はプラチナ製剤などによる標準的な抗がん剤治療を受けた。3週に1度点滴。点滴直後4〜5日は吐き気がきつく、髪の毛も抜けたが、4回繰り返すとがんは縮小。1年間安定した。
 再び悪化し始めると、今度は別の抗がん剤による治療を3週に1度、計5回受けた。副作用で手足にしびれが出たが、さらに1年悪化せずに済んだ。
 しかし、診断から2年半が過ぎた昨年秋、またがんが動き始めた。背中の骨にも転移し、少し痛んだ。
 近年、分子標的薬と呼ばれる新しいタイプの抗がん剤が登場している。最近の研究で、「イレッサ」(一般名ゲフィチニブ)や「タルセバ」(一般名エルロチニブ)は、特定の遺伝子に変異がある患者に効果が大きいことがわかってきた。
 また、昨年保険適用になった「アリムタ」(一般名ペメトレキセド)は、肺がんの中でも、腺がんや大細胞がんには効果がみられるが、喫煙と関係が深い扁平上皮がんでは、従来の薬に劣るとの報告もある。
 男性は腺がんで遺伝子変異もある。今年初め、まずアリムタの点滴治療を試した。効果はあまり表れず、5月から毎朝1錠イレッサを飲み始めたところ、再びがんが縮小、骨も痛まなくなった。
 手術不能とされた肺がんが見つかって3年余り。男性は「副作用が強い時期はつらいが、収まれば気分も前向きになり、仕事も続けてこられた。ゴルフも毎月やっている」と話す。
 イレッサは以前、副作用の間質性肺炎による死亡が相次いだ。「現在は、遺伝子検査をして効果が期待できる人を対象にしている。喫煙歴が長く肺炎の危険がある人には慎重になる」と西尾さん。肺がんの薬物治療は、患者一人ひとりのがんの性質に合わせた使い分けが進んでいる。(2010年8月19日 読売新聞)

−(4)呼吸に合わせて放射線
 国立国際医療研究センターで行われる肺がんの定位照射。呼吸による胸の動きを赤外線センサーでとらえる 東京で独り暮らしをする女性(86)は2007年、健康診断で早期の肺がんが見つかった。手術を勧められたが、「体を切ったら、傷が痛んだり、体力が落ちたりして周りに迷惑をかけてしまう」という心配が強かった。子供たちは海外在住。自分の世話で手を煩わせるのは忍びなかった。
 「手術以外に治療はないでしょうか」。近くの病院の医師に尋ねると、「定位照射」という放射線治療を教えられた。
 定位照射は、さまざまな角度から、がんに集中するように照射する。体力の落ちた高齢者も受けやすい。5センチ以下の早期肺がんが主な対象で、手術に匹敵する効果があるとの報告もある。04年に保険診療になった。
 女性の右肺のがんは約1センチ。近くの病院には治療装置がなかったため、国立国際医療研究センター病院(新宿区)を紹介された。
 治療期間は4日間。1回当たりの治療は1時間程度で、台に寝た患者の周囲を回転する治療装置から放射線が照射される。通院でも可能だが、女性の場合、片道1時間半以上かかるため、4日間入院した。
 定位照射で課題となるのは、呼吸で動く肺のがんに、いかに正確に放射線を当てるかだ。
 呼吸への対処法はいくつかあり、医療機関により異なる。患者の体を固定具で押さえ込み、動きを制限する方法や患者に息を止めてもらった時に照射する方法などがある。
 同センターでは、患者の胸の上に置いた赤外線センサーで胸の上下動を測定し、息を吐いた時点で放射線を照射する。放射線診療部医長、有賀隆さんによると「呼吸同期照射」という方法だ。
 高齢者などでは、息止めが難しかったり、固定具の圧迫が苦痛だったりする場合があるが、呼吸同期照射なら、患者は普通に呼吸していてよいので楽に受けやすいという。
 有賀さんは「動きへの対処法は、どれが最適とは言えないが、治療時の微調整が必要なので、治療経験豊富な施設で行うことが望ましい」と話す。
 定位照射は、がんが気管支や心臓に近いと、臓器に悪影響を与える恐れがあり、その場合は治療が難しい。また、肋骨に近い場所に行った場合など、後で骨折が起きることがある。
 女性は退院した日から家事をこなし、以前と変わらない生活を送る。3年間再発はない。(2010年8月20日 読売新聞)

−肺がん治療の今(5)小さければラジオ波も
 体の外からがんに電極針を刺して焼く「ラジオ波治療」。肝臓がんでは保険がきく一般的な治療だが、近年、肺がんに対しても一部で試みられている。
 2005年2月、3・7センチの肺がんが見つかり、岡山大病院で左肺の上半分を切除する手術を受けた男性(69)。1年半後、経過観察で、左肺の下の方に2・5センチのがんが見つかった。
 このとき、外科の主治医から、手術とラジオ波治療の二つの選択肢を示された。「ラジオ波治療は大きながんには向かないが、小さければ効果が見込める」と説明を受けた。ただ、肺がんでは歴史が浅く、効果と安全性を検証する「先進医療」という位置づけで、約15万円の治療費は自己負担になる。
 男性は前年、左肺を半分切っているので、さらに手術となれば、肺は右だけになり、呼吸機能の大幅な低下が予想された。「肺の機能をなるべく維持したい」とラジオ波治療を選んだ。手術後の傷の痛みを避けたいという思いもあった。
 肺がんに電極針を刺して行うラジオ波治療 (岡山大病院で) ラジオ波治療は、CT(コンピューター断層撮影法)の画像で位置を確認し、体の外から、がんに電極針を刺しラジオ波を流す。男性の治療は1時間ほどで終了し、2日後に退院した。
 退院直後、熱が38度に上がり、たんに黒っぽい血が混じったが、2日後には熱が下がり、血の混じったたんも出なくなった。3か月後の検査で、がんの場所が空洞化したことが確認され、その後、再発もない。
 同病院では2001年から始め、これまでに約450人に行った。同大放射線科教授の金沢右さんによると、3センチ以下の転移のない肺がんなら、5年生存率は約70%で手術に近い効果が出ている。しかし、3センチ以上だと2年生存率でも50%程度に落ち込む。
 この治療に適した患者として〈1〉がんの大きさが2センチ以下〈2〉心臓や太い血管に接していない〈3〉大腸がんなどの転移の場合は3個まで――などを挙げる。
 副作用としては、針を刺した穴から肺の空気が漏れる気胸が約4割に起こるが、多くは自然にふさがる。治療直後に熱が出たり、焦げた血がたんに混ざったりすることもある。肺炎が起きることもある。
 金沢さんは「体力的に手術が無理な場合、がんの位置などによって放射線治療がやりにくい場合などでラジオ波治療が選択肢になる。再発しても繰り返し治療しやすい利点もある」と話す。(高橋圭史)(2010年8月23日 読売新聞)