−キャンサーサバイバー就労支援サービス「CANなび」が始動

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 がんになっても働き続けたいと願う患者をサポートするために、キャンサーサバイバー就労支援サービス「CANなび」が始まった。この仕組みを発案したのは、がん体験者らが中心となって設立した株式会社キャンサー・ソリューションズだ。がんに罹患したことによって、5万人以上の患者が離職しているといわれるが、これまで具体的な就労対策は行われてこなかった。「CANなび」の取り組みと、その可能性についてレポートする。

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●日本医療事務センターが既存のリソースを活用しサービスを提供
 5月1日、キャンサーサバイバー就労支援サービス「Canなび」が始まった。これは、がん体験者らが中心となって設立した株式会社キャンサー・ソリューションズ(以下、CANSOL)が展開する「CSR(Cancer Survivors Recruiting:がん患者の就労)プロジェクト」の一環として発案されたものだ。実際のサービスは、このプロジェクトに賛同する日本医療事務センター(以下、NIC)が既存のリソースを活用し提供している。
 サービスの仕組みは図1の通りだ。CANSOLのCSRプロジェクトに賛同し、がん体験者の求人を希望する企業や大学、医療機関などの雇用主は、NICが運営する総合求人求職サイト「NIC−JOB」に求人登録をする。同様に、就労を希望するがん体験者も「NIC−JOB」に人材登録を行い、NICが雇用の斡旋を行う。
 この就労プロジェクトおよび就労支援サービスは、CANSOL代表取締役社長の桜井なおみさんのがん体験から生まれたものだ。桜井さんは2004年に乳がんを発病。当時は、設計事務所のプランナーとして大きなプロジェクトを何本も抱え、ばりばり仕事をこなすキャリアウーマンだった。手術と抗がん剤の治療を受け、8か月後に復帰したものの、治療の後遺症で右腕がしびれ、以前のように仕事ができない状態が続いた。
 「手術をしたのだから、がんは治ったのでしょう――。私の病気に対して、会社の上司や同僚はこんな認識を持っていました。しかし、実際はホルモン療法を受けるために月1回、通院しなければならず、お互いにギャップを感じるようになったのです」と、桜井さんは振り返る。そして、だんだん会社に居づらくなり、2006年末に退職。自分のアイデンティティを“捨てた”ような、つらい気持ちに苛まれた。
●がんに罹患したことによって、5万人以上の人が離職している現実
 その後、桜井さんは、ウェブデザインの技能を身に付けるために職業訓練校に通っているとき、スキルス胃がんを患った一人の青年と知り合う。「仕事に復帰したら、会社に席がなかったんですよ」。そう寂しげに語る青年の姿に、自分の境遇を重ね合わせ、「がんになって仕事の問題を抱えているのは、私だけじゃない」と痛感したそうだ。
 やがて、その思いは受講した東京大学医療政策人材養成講座での研究へと発展していく。桜井さんが筆頭研究者となり、6人の受講生と共に実施したがん患者の就労状況の調査(有効回答数403人)では、がんと診断された時点で「これまでの仕事を続けたい」と回答した人は、全体の75.9%(306人)を占めた。
 「ところが、仕事の継続を希望した人のうち、31%(95人)が診断後に仕事を変えていました。さらに解雇された人が14人、依願退職者が23人、廃業した人が8人と、仕事を続ける上で、がんが大きな障壁になっていることがわかったのです」(桜井さん)。
 同研究班では、この調査を基に「がん患者の就労・雇用支援に関する7つの提言」を行った。桜井さんは講座修了後もがん患者の就労問題に取り組んできたが、問題提起だけでは解決しないと、CANSOLの代表取締役に就任し、CSRプロジェクトを立ち上げた。
 「がんに罹患したことによって、5万人以上の人が離職している現実があります。また、がんであることを隠して働き続けている人もいます。これは大きな社会問題です。CSRプロジェクトを通して、雇用主や社会に理解を求め、がん患者の意識も変え、がんになっても自分らしく働き続けられる社会を作り上げていきたいと考えたのです」(桜井さん)
●がんを隠して働き続けることがないようオープンな雇用契約
写真1 CANSOLでは、がん患者団体キャンサーネットジャパンと協力して「がんと一緒に働こう!」をテーマに各地で連続シンポジウムを開催し、就労問題に対する啓発とCSRプロジェクトの普及に取り組んでいる。  NICがキャンサーサバイバー就労支援サービスを開始して約3カ月が経過した。現在、がん体験者の人材登録者数は10人以上になった。数件の企業やNPO法人が求人登録を行い、このうち雇用の成立に至ったものが1件ある。このほか、ヘルスケア関連の企業からの問い合わせも相次いでいるという。
 同サービスの担当者である事業開発部の小林隆行さんは「がん政策や診療ガイドライン策定の場では、がん体験者に積極的に参画してもらい、その経験を生かそうとする動きがあります。今はまだ市場が形成されていませんが、雇用の場でもやがて同じようにがん体験者の経験が求められる可能性は高い」とみる。
 それには、働く側も雇用する側も、がん患者の雇用に対する意識を変える必要があり、そのための働きかけや、患者ががんであることを隠して働き続けることがないよう、就業体制を整え、オープンな場で雇用契約を行っていくことが重要だと考える。
 今後、NICでは時間をかけて同サービスを発展させていく計画だ。サービス開始から1年間は、がん治療を専門とする医療機関やがん関連のNPO法人で、がんの就労問題に対する意識が高く、がん患者に理解のある雇用先への就労者派遣を目指す。
 同時に、同社の教育事業のノウハウを生かし、CANSOLと協力しながら、がん分野で求められる人材を育成する講座を開発・運営し、就労支援サービスとリンクさせながら進めていきたいとしている。
●がん経験を生かし、雇用主の期待に応えるためには「教育」が重要
 桜井さんらが行った就労調査によれば「病気の経験を生かした仕事に就きたい」と回答した人は全体の39.3%を占めた。しかし、その可能性はどのくらいあるのだろうか。雇用する側が、がん患者に期待するものとは何だろう。
 東京大学大学院医学系研究科の大橋靖雄教授は、自らが運営するNPO法人日本臨床研究支援ユニットで、がんの臨床試験に関するデータマネジメントやコールセンターのスタッフとして、がん体験者を積極的に採用している。同ユニットで働く5人のがん体験者は、患者団体で相談業務に従事した経験があったり、がん患者団体が実施する人材育成プログラムを受講していたりするなど、がんや治療に対する正しい知識を学んできた人たちだ。
写真2 大橋靖雄教授(左)が運営するNPO法人日本臨床研究支援ユニットで、データマネジメントのスタッフとして働く佐藤恒さん(右)。「がんを治すことが最優先なので、(就労に関して)焦らないでほしいが、元気になれば自分たちの知識や経験を医療界に還元することは可能。患者のプロとして自信を持ってほしい」とエールを送る。  「臨床試験の現場で働く場合、疾患や治療内容について知らなければ、よい仕事はできないのですが、既に正しい知識を学んでいるがん体験者は、この仕事に対する意欲があり、自分が過去に経験してきたことだけに臨床試験に参加しようとする患者さんへの共感力も高い。我々が期待する仕事に貢献してもらっています」と大橋教授は評価する。
 そして、この分野では、データマネジメントなど研究補助業務の人材が特に不足しているため、がん体験者が必要な教育を受け、研究補助者として育ってくれば、雇用する研究機関は現れるはずだと予測する。がん体験者の就労に関しては、治療との両立がしばしば問題になるが、研究補助者の場合、労働時間の制約がそれほど厳しくないため、治療を受けながら働くことも十分可能だという。「再発・転移の可能性を抱える体験者もいるので、健康な人を雇うよりリスクが高いことは事実だが、それもお互いにカバーし合うなどのリスクマネジメントをしっかり行えば、がん体験者を雇用するメリットの方が大きい」(大橋教授)。
 さらに、大橋教授は「がん体験者を求めるニーズは高まっており、医療機関の相談窓口やがん検診の普及の場など、活躍できる場所は広がってくるでしょう。ただし、がん患者が、自らの疾患に対する知識と経験を存分に生かし、雇用主が期待する仕事に応えていくためには、教育が重要なポイントになる」とも指摘する。
 また、「CANなび」の取り組みについては「がん体験者の職業訓練を実施したり、雇用主とのマッチングを行ったりする場がなかったので、教育事業とのリンクも視野に入れたこの仕組みには期待したい」と語る。
 多くのがん患者や体験者が人知れず苦しんできた就労問題が今、ようやく動き始めた。「体験者自身が声を上げなければ、解決されない問題がたくさんあります。ゆくゆくはがん患者であることが就労のセールスポイントになるよう、キャンサーサバイバーの価値を高めていきたい」と桜井さん。がんになっても、自分らしく働き続けられる社会の実現を目指し、これからもさまざまなリソースをつなげながら、粘り強く取り組んでいく考えだ。
(医療ライター・渡辺千鶴)2010年8月17日